勉強は、人を愛するためにする。
「こんな勉強、大人になったら何の役に立つの?」
学生なら、一度は思ったことがあるんじゃないでしょうか。
例えば数学の関数。大人になってから、二次関数のグラフを書く機会なんて、ほとんどないかもしれません。
せっかく勉強しても、いつか忘れてしまう。だったら、勉強する意味なんてあるの?
今回は、そんな疑問について考えてみたいと思います。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということわざがあります。
嫌いな人がいると、その人に関係するものまで嫌いになってしまう、という意味ですね。
これ、勉強にも当てはまると思いませんか?
勉強が嫌い。宿題も嫌い。テストも嫌い。だから、勉強なんて何の意味もない!
でも、ちょっと待ってください。
「今の自分にとって役に立たないこと」と「価値がないこと」は、同じなのでしょうか?
確かに、関数の公式を一生使わない人もいるでしょう。でも、勉強した時間が丸ごと無駄になるわけではありません。
分からない問題に向き合った経験。答えが出るまで考えた経験。自分とは違う考え方を理解しようとした経験。
知識を忘れても、そうした経験の一部は自分の中に残るかもしれません。
勉強は、人を愛するためにする
太宰治の勉強についての考え方には、学んだ知識そのものだけでなく、
学んだ後に自分の中に残るものに価値を見いだす視点があります。
そして、そこから考えてみたいのが、勉強は人を愛するためにするものでもあるということです。
人を愛するって、好きな人に優しくすることだけじゃありません。
自分とは違う考え方を持つ人を理解しようとすること。
自分が経験したことのない苦しみを想像すること。
自分の価値観だけで相手を決めつけないこと。
こうしたことも、人を大切にする、人類を愛するということだと思います。
勉強すると、自分の知らない世界に触れられます。
歴史を学べば、今とは違う時代を生きた人たちのことが分かる。
文学を読めば、自分とは違う人生や感情に触れられる。
科学を学べば、世界の複雑さや、自分が知らないことの多さに気づける。
もちろん、勉強したからといって、誰しも優しい人になれるわけではありません。
でも、知ることで、想像できることは増えていきます。
想像できることが増えれば、今まで理解できなかった誰かの気持ちを、少しだけ理解できるようになるかもしれません。
そう考えると、勉強は自分のためだけにするものではないんです。
「意味がない」と決めつける前に
「自分が使わないから意味がない」
「自分の得にならないから必要ない」
そんなふうに、自分にとっての損得だけで物事の価値を決めてしまったら、どうなるでしょうか。
自分が知らないこと、自分が経験していないこと、自分に直接関係のないこと。
そのすべてを「意味がない」と切り捨ててしまうかもしれません。
でも、世の中には、自分が直接使わなくても価値のあるものがたくさんあります。
誰かが積み重ねた研究が、未来の誰かを救うかもしれない。
自分が学んだ物語が、いつか誰かの苦しみを理解する助けになるかもしれない。
自分にとって役に立つかどうかだけで、物事の価値を決めないこと。
それは、自分以外の誰かや、まだ見ぬ未来を大切にすることにもつながるのではないでしょうか。
勉強した先に、誰かを愛せる自分がいる
もちろん、志望校に合格するため、将来の選択肢を増やすために勉強するのも大切です。
でも、それだけじゃありません。
今は役に立たないと思っている知識が、いつか自分の可能性を広げるかもしれない。
勉強する中で身についた考え方が、誰かを理解する助けになるかもしれない。
今すぐ成果が見えなくても、学んだ後に何かが残ることはあります。
その小さな積み重ねが、自分のためだけでなく、誰かのためにもなる。
だからこそ、勉強の意味を「将来使うかどうか」だけで判断してしまうのは、もったいないんです。
勉強は、自分の人生を豊かにするために。そして、自分以外の誰かを理解し、大切にするために。
目の前の問題を解くことが、いつか誰かを愛することにつながる。
そう考えたら、普段の勉強も、ほんの少し違って見えてくるかもしれませんね。
