白楽校のブログ

オブラートに包むはどこに行った?

2017/12/09

最近オブラートに包むという言葉のオブラートを見ません。
ボンタン飴でも買わない限り見ないなと思っていたら、
初めて買ったクルミ餅がオブラートに包まれていました。

ちょっと懐かしいと思いました。

さて、このオブラート、若い人はあまり知らない様です。

オブラート?
何それ?
何かの薬?

まぁ、そうなるでしょう。

そもそもオブラートはでんぷんで作られた薄い膜の事です。

いえ、もっと昔に遡ればキリスト教の儀式で使われる薄い無発酵パンの事です。
なんとも現代の我々の知る物とはだいぶ形状も食感も違いそうです。

このオブラートは硬質オブラートと呼ばれていたそうですが、
現在の様な柔軟オブラートを発明したのは、日本人です。
お医者様が発明されたそうで、こういう細かい仕事をさせたらさすがと思います。

さて、このオブラート、初期の頃は様々なものに使われていました。
何故なら、当時の包装技術はそれほど発達しておらず、
このオブラートであれば包んだままそのまま食べられる包装紙として使用でき、
非常に便利でありました。
しかし、次第に包装技術自体の成長もあり、使われる事が少なくなりました。

現在は本来の使用目的である薬を飲む為の包み紙として、
味が付いたりと進化しております。


と、オブラートの歴史と概要についてご説明いたしましたが、
保護者様の年代であればなんとなくご存知かと思われます。

問題はその下のお子様世代です。
私は小さい頃ボンタン飴とか食べていましたので、
オブラート自体も触れる機会が多かったのですが、
今はわざわざボンタン飴を食べようというお子様も少ないのではないでしょうか?

もっと色々なお菓子が増えて、選択肢が増えた事によって、
ボンタン飴の選ばれる確率事態減ってきているように思います。
最近コンビニでボンタン飴を見たかな?と思う事も有ります。

さてさて、そうなると、オブラートの存在自体を知らない事になります。
だから「オブラートに包む」という言葉の意味を知りません。
いえ、そもそも誰も周りの人が使わないのです。

こうして言葉って消えていくんですね。
新しい言葉が生まれるたびに古い言葉が消えていくんです。
まぁ、確かにそういうモノです。

昔の言葉が全て良い言葉という訳でもありません。
昔は今と違って「差別用語」というモノも有りました。
今はそれを目にする機会も耳にする機会もなくなりました。
それはとても良い事と思います。

しかし、別に無くならなくてもいいような、そういう言葉も併せて消えてしまうと、
ちょっと寂しいと思う事も有ります。

一時期だけ流行った言葉と言うモノはすぐに消えます。
流行語と言うやつです。

あれは一過性の物であって、長年残る物ではありません。

私の子供の頃の言葉ですと、「ジュリアナ」「マハラジャ」という施設名や、
「アッシー」「メッシー」というあだ名?の様な特定の方の呼び方や、
「メークドラマ」という造語も有りました。
CMでは「亭主元気で留守がいい」と女性のたくましさを表す言葉も有りました。
多分これは今でも皆さまそうなのでしょう・・・。

さてさて、私の生まれた年代が薄っすらとわかる様な、そんな言葉も有りますが、
多分この言葉を子供たちは知りません。
ひょっとしたら「アッシー」「メッシー」は今も一部で使われているかもしれません。

けれども、この言葉達もそう遠くない未来に消えると思われます。
いえ、これは男性の側からすれば消えて欲しい言葉というだけかもしれませんが、
只管に、こういう扱われ方をする男性が減ってほしいと思う次第でございます。

因みに今も使われている「セクハラ」も私の子供の頃に初めて出てきました。
これにはかなり神経を使うので、だれかボーダーラインとか欲しいです。
下手をすれば挨拶だけでもセクハラになりそうな世の中、怖いです・・・。


さてさて、ではもっと昔の言葉に遡ったらどうでしょう?
例えば古文です。
と言っても、御伽草子ぐらいであれば原文で読んでも「なんとなく」意味が分かります。
と思っていました。

最近は違うそうです。
例えば「死に至らんとす」という言葉の意味が分からない。
この「至る」は「到達する」という意味だろうが、
「んとす」という形になるとどうなるのかが分からないとの事。

むむむ、と思います。
私もどこでこれを覚えたのか、特に困ることなく「死にそうになっている」
だったり、「死にかけている」という風に訳します。
辞書の様な正確な訳し方までは出来ないかもしれませんが、
ニュアンスでほぼわかるでしょう。というレベルの日本語の変化です。
方言の方がよっぽど分かりにくい気がします。

ところがこれが今の中学生には壊滅的とまでは言いませんが、
自然に出来るという程では無いようです。
ちょっとびっくりです。

単純に知識量の問題です。
つまりこの年代の書物だったり、情報を頭に仕入れていないという事です。
最近は子供が妖怪ウォッチとかで妖怪について詳しかったりします。
その原典を読みたくならないのでしょうか?
付喪神とかは御伽草子に書かれています。

他にも浦島太郎も御伽草子にあります。
この終わり方もただ年を取るだけではないのです。
最後は「 」になってあの「  」へ行き、「  」と・・・。
とネタバレはしたくないので思わせぶりにしておきますが、
皆さんが知っている浦島太郎とはとにかく違うのです。

元の話にはちゃんと落ちが付いていて、それを知る愉しさが有ります。
勿論スラスラと読めるとは思いませんが、全く手が出ないという程でもなく、
隣に現代語訳を置きながら読めば段々と語彙力も増えます。
私には英語のお勉強と大して変わらないように思われます。

どちらもなんとなく知っている単語がいくつかある言語です。
しかし文法とか細かい所が分かりません。

ならば日本語訳、現代語訳されている物と並べてみて、
微妙なズレを修正しながら読んでいけばいいのです。
英語ならば映画で見る方が楽でした。
古文は図書館などで探したり、小説に一部分載っていたりするのを読んだりして、
知識を広げていきました。


言葉は使わなければ消えていきます。
少なくとも古文を日常的に使う事はありません。
会話で「~に至らんとす」とか言っていたら、ちょっと危ないです。
しかし、日常的に本を読んでいれば不意に遭遇します。
思わぬところで出会ってしまうのです。
兎に角毎日文字を追って、本を読んで、文字を書いて、その繰り返しです。

その過程の中で語彙力や知的好奇心は育ち、こういう過去の言葉にも興味が湧きます。
そして、こうした言葉を自然と使えるようになるとそれがその人の常識になるのです。

私が一部の科目であまり勉強した覚えが無いのも、
こういう知識が元々常識として有ったから、皆が嫌々覚えるものを、
予め嬉々として獲得しに行っていたからです。

別に大したことはしていません。
単に本を読んだだけですから。
でも、読めば読むほど知識は積もります。
その結果受験勉強が僅かですが楽になります。

高校受験レベルの古文であれば、「御伽草子」や「伊曽保物語」が読めれば十分です。
このぐらいであれば童話の原典なので読めるでしょう。

「オブラートに包む」という言葉をきっかけにして、
もっと古い言葉へと遡っていけばお勉強のお話にもなってしまいます。
発想と知識さえあればどこをスタートにしてもお勉強に行きつきます。

皆様も「知る」愉しさを知って頂ければと思います。

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